Column 2016.06.30

イタリア最高のピノ・ノワール J.ホフシュテッター

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※18世紀半ばにはイエスズ会修道士がワインを造っていたというコルベンホフの畑から、対岸、マッツォン方面を臨む。写真からも分かるとおり、標高が高い。

 イタリアの高級レストランで定番のズュート・チロルといえば、J・ホフシュテッター。1974年に州で初めてバリックを使用した生産者であり、そのバリック熟成のピノ・ネロは、80年代後半以降イタリアを代表する同品種のワインとして知らぬものはいない。日本でもホフシュテッターのワインは欠かせないアイテムだろう、と思っていたのだが、最近その名を耳にしない。ワイナリーで案内してくださったフランツ・オーバーホーファーさん(オーナーの親戚)に聞くと、「とても小さなインポーターに少量売っているのだが、正規には輸出していないというか、、、どこか日本でたくさん売ってくれるといいのだが、、、他の国ではよく売れているし、、、」。そうだったのか。確かに値段は張るから棚にただ並べておいても売れるようなワインではないが、それでも超有名ブランドだろうに。

※案内してくださったフランツ・オーバーホーファーさん。「マルティンの母親が自分の姪」だそうで、「担当は?」と聞くと、「いろいろ、なんでも」。彼の後ろに映るのは、サン・ウルバーノ畑の中にある礼拝堂。

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ホフシュテッターに限らず、トスカーナとピエモンテ以外の高級定番イタリアワインに対するニーズがないというのは日本独特の状況のような気がする。「おしゃれ系」、「わいわいパスタ系」、「先端芸術系」、「ビオ系」等のカテゴリー向けのワインはあっても、普通の人が普通に行く普通なリストランテにふさわしい安心の高級ブランドの居場所は限られるということか。話はそれるが、聞いたこともないワインが100種類並んでいても、一般消費者は自分でワインを選べない。自分自身の実飲経験があり、それをもとにTPO的に正しいワインを自ら選ぶということはワイン趣味にとって大事なのだ。そのためには定番がなければならない。十年前の記念日に飲んでおいしかったからまたそれを飲む。それができるためには、十年前も今も一貫したスタイルを維持する(もちろん質的な停滞という意味ではまったくない)ブランドがなければならない。シャンパーニュやボルドーとは、まさにこのことを自覚している産地だと言えないだろうか。経験・知識に基づく予見可能性なしに、どうして人は責任ある選択ができ、その結果に達成感をいだくことができるのか。日本中の全店が毎日リストを更新して新作ワインばかり売っているという状況を想像してほしい。日本はこの方向に進んでいる。それは無尽蔵の懐と時間をもつマニアには極楽だろうが、残り99・99%の人間にとってはむしろ困惑・不安の原因である。ホフシュテッターのようなワイナリーが輸入元を探しているという状況を聞き、日本のイタリアワイン市場の健全な発展に対して危惧することとなった。

 さて、ホフシュテッターを訪問するのはこれで3度目だ。だんだんきれいに、大きくなっていく。門をくぐって左には広い直販所もできている。観光客も多そうだ。なんといっても、ホフシュテッターの所在地は、長いあいだトラミナー系品種発祥の地とされていたトラミンだ。最近その説は疑問視されているとはいえ、それでも名前の元となり、栽培の歴史が千年にも及ぶトラミンだ。ズュート・チロルの白ワインの代表といえばゲヴュルツトラミナーであり、この品種に興味があるならトラミンを訪ねないなど論外だ。

※3年前からコンクリートタンクを導入。4500から7500リットルの容量。ステンレスタンクと併用して赤ワインを醸造する。

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だから8年間ご無沙汰しているあいだにワイナリーも増えたのだろうと思いきや、「いや、ワルクとエルゼンバウムとうちだけ」(実際はワルクは2軒あるが)。「十数年前に初めて来た時と変わってないじゃないですか」。「トラミン村ではブドウ農家のほとんどはケラーライ・トラミンにブドウを売る。州の生産の7割は協同組合が担っている」。それは分からなくもない。ブドウは狭い斜面に植えられているが、アディジェ川の両岸にはリンゴ畑が広がる。「ワイン生産はイタリア全土の0・7%でしかないのに、リンゴは6割」。ズュート・チロルといえば、ワイン産地である以前に、圧倒的なリンゴ産地なのだ。リンゴとブドウの兼業でリンゴが主体となれば、ワイン造りの手間は協同組合に任せるというのは順当だ。自分でもそうするだろう。実際に来てみると、いろいろなことがリアリティをもって理解できる。

テイスティング前に、畑に行く。まずはゲヴュルツトラミナーの畑、コルベンホフ。ケラーライ・トラミンのニュスバウマーと並ぶ、知る人は知っているだろう、グラン・クリュな畑。もちろんここにグラン・クリュ制度はないとはいえ、丘の斜面上部にあり見晴らしのよいこの畑がそれに値するというのは、畑の姿を見れば明らかだ。そして渓谷の反対側、マッツォン村にあるピノ・ネーロの畑、ヴィーニャ・サン・ウルバーノ。ズュート・チロルのピノの実力を世界に示し、イタリアのピノといえば必ずその名が挙がる、そして自分のワイン個人史的にも重要な(90年代半ばにこのワインを飲むまでイタリアのピノはまずいと思っていた)、バルテナウ・ピノ・ネーロの畑。三畳紀石灰岩と斑岩が混じる土壌は渓谷東側によくみられるものだが、これが陰陽・冷温の両ベクトルが入り混じる独特の複雑性の理由にもなっているのだと思うと感慨深い。ここも丘の頂上部にあり、谷に向かって開けた地形で、水はけも日当たりもよい。狭い谷間の産地であるアルト・アディジェでは、夜明けや日没時に畑を見れば、場所によって日差しを長く受けるところもあれば、すぐに山の影になるところもあり、どこがよい畑かはすぐに分かる。ホフシュテッターの名声は、彼らの畑のテロワールの素晴らしさを基礎にしているのは言うまでもない。

※涼しいマッツォン村の標高450メートルにあるバルテナウ・エステートの、ヴィーニャ・サン・ウルバン畑。樹齢は65年に及ぶ。現在の植栽と異なり、ペルゴラ仕立て。西向きの斜面ゆえ、午後には強い日差しを長い時間受ける。

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実際にテイスティングしても、このふたつのワインはあいかわらずの出来だ。しかし記憶にある十数年前の味と比べると、少々アルコール感が目立ち、酸が緩くなった気がする。実際バルテナウ・ピノ・ネーロの2012年と2003年を比較してみたが、後者のほうがびしっと筋が通っているし、2003年にもかかわらず酸の勢いがあるし、余韻も長い。これは地球温暖化の弊害なのか。気になる点だ。

最も印象的だったのは、今まで気にも留めていなかったピノ・ビアンコ、バルテナウ・ヴィーニャ・サン・ミケーレ。風味の温かさはこの品種に期待するものだし、ミネラル感の表現が見事だ。買いブドウから造られるベーシックなシリーズも予想をはるかに上回る出来。ラグレインも高価な単一畑ワインのシュタインラッフラーよりノーマルのほうがラグレインの繊細で上品な側面を素直に出していると思ったし、カベルネ・ソーヴィニヨンの堅牢な構造としなやかなタンニン、そして熟しつつきれいにハーベイシャスな香りもよい。そもそもズュート・チロルはイタリアの中でも最高のカベルネ・ソーヴィニヨンができる産地だ。トスカーナではないのかと言われるだろうが、値段の桁違いの安さを考慮すればなおさら、私はズュート・チロルを推挙したい。

生産するワインは数多いが、平均的レベルが高いだけではなく、きちんとハウス・スタイルを一貫させているのがホフシュテッターの魅力だ。大手の高級ワイン生産者だけあって味に品があって形が整っているのは当然として、彼らのワインには意外なほど筋肉質なパワー感と硬質なミネラル感が備わっている。コルベンホッファー・ヴェルナッチはそのことが最もよく分かる例だ。普通ならヴェルナッチはイチゴ的なかわいらしいフルーティさに流れるだろうが、これはたじろぐほどゴツい。「ホフシュテッター・スタイル」と言うとおりだ。

※バルテナウ・ピノ・ネーロ・ヴィーニャ・サン・ウルバンは、バリックで1年熟成されたのちに大樽でさらに半年熟成。バルテナウ・ピノ・ビアンコ・ヴィーニャ・サン・ミケーレは、バリック、400リットルの中樽、大樽を使い分ける。

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しかし十数年前までのヴィンテージと比較するなら、力強さや構造を獲得した代わりに失ったものは色気や華やぎだと思う。こればかりは先代のパオロ・フォラドーリさんとその息子である現ワインメーカーのマルティンさんの違いとしか言いようがない。パオロさんはセクシーだった。マルティンさんには会ったことがないが、とてもまじめな人だという話は聞く。昔パオロさんに会った時にこう言っていたのを思い出す。「僕はピノ・ネーロは密閉型ステンレスタンクでルモンタージュして造るほうが香りがあってしなやかでいいと思うのだけど、息子はオーク桶でピジャージュして造ると言ってきかないんだよ。でもこれからは彼が造るのだから任せるよ」。時代は変わる。人は、親子であっても、それぞれ違う。そして人はその人自身に素直になる他ない。とはいえ人は成長する。あと十年もしたら、マルティンさんはかつてのパオロさんと同じ、絶妙な力の抜き加減がもたらす洗練の美に気づくのかも知れない。私個人としてはそう望んでいる。先日パオロさんが造った99年のシュタインラッフラーの瓶を開けて、その気高さと美しさに、「これは天才の作品だ」と改めて思った。自分のセラーには往年のバルテナウ・ピノ・ネーロがあと一本あるだけだ。それを開ける勇気が今の私にはない。<田中克幸>

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