Column 2017.03.15

オーストリアワイン・セミナー@フーデックス

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先週開催されたフーデックスに伺ってきました。

これだけ食に関わる人が多いのだと驚かされると同時に、海外からの参加者も結構な割合でいます。そうですよね。自分たち日本人だって海外の展示会に足を運ぶのですから、会場が日本でも世界中から”美味しい”をテーマに人が集まってくるのは当然のことです。こういった催しでの様々なやり取りが、自分には想像もつかないような食のシーンにつながっているのだと思うと自分の小ささが少し恥ずかしくなります。

今回のひとつの目的は寄稿していただいたり、ワイン会をご一緒している田中克幸さんのオーストリアワインのセミナー。「フーデックスに来るなら寄ってくれ」というあっさりした誘いだったので、のぞいてみるかという気軽な気持ちで行ったらセミナールームは満席。ご予約の方でないと、と断られそうでしたがなんとか立ち見で入場。田中さん、話が違うじゃないですか。。

しかしこのフーデックスという催し、以前に比べ出展ワインも随分色合いが変わったように思います。当日入り口まで一緒だったオセアニアワインのインポーターは「昔は出展してたんですけどね」と、今はそれほど当事者感はないみたい。

そういったなか身近なところではオーストリアワインは随分日本に馴染んだ印象でいましたが、まだまだこれからという産地なのでしょう。ブースも立派で著名なソムリエさんたちが接客に当たっていました。

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さて、セミナーですがまずはグリューナーの土壌違い。グリューナーというとニュートラルですっきりとした印象があるかも、またそういった紹介のされ方が多いように思います。レス土壌などは比較的線の細い印象を持たれるかもしれませんが、火山岩や粘土などで(写真はカンプタールが多いですね)豊かなボディを表現してくれます。実は他に類のないほど多面性を持った白品種なのではないかと思っています。

あと田中さんが伝えたいことを僕なりに咀嚼すると、オーストリアほど日常的な文化とワインが結びついている国は他にないのではないか?ということ。

もちろんどの国にも文化はありますし、多くのワイン産地もそれぞれ”らしさ”があります。日本人にとっての”日本らしさ”って意識していなくても自明のものだったりしますよね。日本的な文化や芸術の表現するもの、”日本らしさ”が”間”であったり”わびしさ”や”滋”のようなものであるとすれば、オーストリアのワインは高級ワインでもリーズナブルなワインにも一貫して”洗練さ”が感じられるところがこの国のワイン独自のものなのかもしれません。そう思うと、フランスも高級ワインと日常ワインの一貫性って何だろうと考えますし、イタリアはまぁ別物かな。。日本のワインも高級ワインはボルドーを目指していたりもします。

そのオーストリアの一貫性を田中さんは「オーストリア的洗練とは何か。それは「やりすぎないこと」だ。どこで筆を止めるか。そこにかっこよさがある。オーストリアワインはゴテゴテしないし、過剰な自己主張もない。一見さらっと流しているようでいて、よく見ると細心の注意を、それも無意識の注意を、ディティールに対して払っている。」と解説していました。どこか日本の美意識と似ているところを感じませんか?そういった点で日本に馴染みやすい性格をオーストリアワインは持っているという提案でした。

あともうひとつビオディナミに関して。ビオディナミの祖であるルドルフ・シュタイナーはオーストリア生まれ。これはひとつの考え方ですが、ルドルフ・シュタイナーがビオディナミを産み、現在のオーストリアワインその他のワインを形作っていると考えるのか、オーストリア的な洗練がルドルフ・シュタイナーひいてはビオディナミを産んだと考えるかでは大きく思考が違うように思います。

僕個人で思うところの最近のオーガニック、ビオディナミ志向は、上記のオーストリア的洗練に似ていて、格好良い悪いはひとまず置いておいて、物質的満足ではなく、足るを知るというような精神的充足を無意識的に多くの人が求めているところにあるかなぁと考えたりします。ワインも十分ぜいたく品なのですが、そういった自然や土地に思いをはせるというところでは最高のお酒だと思って仕事にしてしまった自分がいます。

僕もオーストリアに行ったことがないので、いつか行ってオーストリア的なものにじかに触れてみたいと思いますが、もしかしたら日本人には基本的にそのオーストリア的なものを受け入れる素養があるのかもしれません。

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