コラム 2016.08.23

全体は部分の総和より大きい ヴィック

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※まるで美術館のようなワイナリー。アンデスの岩と水でチリのテロワールを表現するエントランス。

 夢のようだ。これほどまでに徹頭徹尾完全主義的で、あらゆるディティールに関して一切の妥協のないワイナリーが存在しうるのだ。超高級ワインを造るとはこういうことなのだと、ヴィックはワインの質だけではなく、ワイナリーの質、ワイナリーのありようとして具体的な形を示す。

 ヴィックのCEO兼ワインメーカーは、チリ生まれのフランス人である、高名なパトリック・ヴァレットだ。サンテミリオン・グラン・クリュ・クラッセ(当時。今はプルミエだが)・シャトー・パヴィを始め、シャトー・パヴィ・デュセス、シャトー・ラ・クルジエールの前オーナーであり、シャトー・ベルリケやシャトー・ラ・プレザンス等多数のシャトーのワインメーカーを務め、チリでもケブラダ・デ・マクールやサンタ・リタといった偉大なワイナリーのコンサルタントを歴任してきた。現在もボルドーのアントル・ドゥー・メールにシャトー・ド・ルージュリーを所有する。
※ヴィックのCEO兼ワインメーカーを06年の創業時から務めるパトリック・ヴァレット。彼の美意識、経験、知識なくしてヴィックは存在しえないだろう。
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 ボルドー、特にサンテミリオンのクラシックなエレガンスについて議論するには彼は最高の相手だ。あの2006年の格付けに対して疑問を感じた人なら、そして彼が造っていた頃のシャトー・パヴィの味が好きなら(私は恥ずかしながら88年と90年しか覚えていないが)、彼の、そしてヴィックの美意識に溶け込むのは難しいことではない。ワインの質とは物質的な高密度とイコールではなく、努力とはごてごてと塗り重ねることでもなく、品位とは技術的完成度のみならず文化的素養・教養を基礎とした人間と自然との精妙な調和の上に成り立つものなのだということを、理屈ではなく無意識に分かっている人なら、今の味とは似ても似つかない往時のサンテミリオンを、資本力の味ではなく最高級の村の味だったサンテミリオンを、そしてヴィックを、正しく評価できる。むろんそれは、私のような未熟者より読者の方々のほうがご理解されていることだろう。
※ヴィックはカベルネ・ソーヴィニヨン、カルメネール、カベルネ・フラン、メルロ、シラーのブレンド。2011年の品種構成は、それぞれ、55, 29, 7, 5, 4%。写真は2015年ヴィンテージのブレンド前の単一品種ワイン。それぞれ大変においしいが、うまくブレンドするとやはり、「全体は部分の総和より大きい」。完成作があまりに上品で静かな味なので、もともとそういう味になる土地なのかと思うが、実は違う。素材は案外とワイルドな側面もあり、自分自身でブレンドしてみてもけっこうダイナミックな味になる。あの味は、あくまで意図してのものなのだ。

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 なぜ昔のパヴィの味の話から始めねばならないのか。それは、ヴィックが一見、2006年格付け以降的メンタリティーの、もっとわかりやすく譬えて言うなら成金ナパ的な、豪華絢爛ワイナリーに映るからだ。ヴァレットが言葉を選びながらあいまいに言うところでは、「オーナーはスウェーデン人で、カナリア諸島で育ち、ハーバードを卒業して、ボストンでニューヨークに住んでいたある女性と出会って結ばれ、金融業で成功し、芸術と高級ホテルが好きな人」らしいが、そう聞いても、「はあ、お金持ちの趣味ですね」としか思えないだろう。そして、壮麗な装置を備えて自己顕示欲に満ちた悪趣味のワイナリーと、濃くておいしくはあるが暑苦しい性格のワインを想像するだろう。

だがヴィックは違う。率いるのはパトリック・ヴァレットだ。クラシックなエレガンスとは何かを誰よりも意識している。潤沢な資金を得て彼が造るのは、物質的な成金ワインではなく、彼の思想・美学が制約条件なく発露する(たぶんパヴィにおいては父との葛藤から不十分なまま終わった)総合芸術である。今のサンテミリオンに対して悲しい目で思いを語るヴァレットを見ていると、荘子の言葉を思い出す。「功を以て人に勝つことなかれ。謀を以て人に勝つことなかれ。戦を以て人に勝つことなかれ」。勝つものははじめから勝っている。我が国の東郷平八郎連合艦隊司令長官もこう言った、「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くる」。しかしそれが出来る人は極めて少ない。だから再び荘子の言葉を借りるなら、人は「力足らざれば偽り、知足らざれば欺き、財足らざれば盗む」。それがむしろ普通の現実ではないか。ヴァレット率いるヴィックには、力と、知と、財が備わる。これを夢のようだと言わずしてなんと言おう。

 

 「ヴィックを理解するキーワードはホーリズム(全体論)だ」とヴァレットは言う。ホームページの記述を和訳して引用する。

 

「全体は部分の総和より大きい」アリストテレス

ホーリズムとは、ひとつのものとして表現された、人間と自然の完全なる合体である。ヴィックにおいては、科学、技術、知識が我々の基礎であり、情熱が我々の動力源であり、ワインが我々の芸術的表現である。我々のすべての共同作業は、偉大なワインを造りだす環境への特別な感受性を伴って、全体、すなわち我々の崇高なるテロワールが生み出しうる最上のワインへとフォーカスする。我々の全体論的ワインは、最高の栽培・醸造方法、環境への卓越した配慮、人的また社会的資本の発展、そして建築と芸術が、崇高にして動的なテロワールに合体した結果である。

 

 ヴァレットはなすがままの自然へと己をゆだねる姿勢をとらない。大いなる自然への無力な従属者として人間を捉えるのはなく、自然の声を聞き取った上で、所有地である畑や自然環境を含む要素の総体をワインという人間的な文化へと昇華させる創造者として、ないし指揮者として人間を捉えている。ヴィックの社長であるヴァレットはそういった意味では神の代理人の如く、真理を知りそれを形にする全能者として振る舞う。彼自身がそう言ったわけではないが、それが彼との半日を費やしての対話から感じられたことである。

 何もしなければワインはできない。ブドウを人間が植えねばヴィックのカチャポアルの土地はいつまでも原生林でしかない。ブドウがあっても人間が収穫せねばならない。収穫するには人を雇い、組織化せねばならない。あらゆる人間の営為は意思決定の連続である。それを知らないふりをして無為自然とうそぶくのか。そこで人間が自らの責任を意識するのか。不言実行は気が楽だ。もともとやると言っていないのだから、できなくても誰にも知られない。できた時だけ「俺がやった」と言えばいい。有言実行は常に難しい。できなければ批判される。ひとりだけでワインを造っているなら、まだ不言実行も可能だ。だが組織でワインを造っている以上、有言実行以外は仕事にならない。何を目的としているのかを成員と共有し、何をしなければならないのかを成員に明示しなければ、いかなる組織行動も不可能だ。ヴァレットはこの難しい責任を受けて立つ。そして彼は責任を果たしている。この事実に対して私は心から称賛を送る。
※ワイナリー訪問時にはワインはただ一種、グラン・ヴァンのVikだけで、「セカンドワインはそろそろ出る。たぶん単一品種ワインになる」と言っていたが、そのあと登場したMilla Calaはカベルネ・ソーヴィニヨン47%、カルメネール44%、カベルネ・フラン9%のブレンド。写真はヴィックのホームページから転載。
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 総合芸術をホーリスティックに実現するためには、目的に向かって一点の欠損も許されないディティールを丹念に積み上げるしかない。具体的な例を述べる。植栽密度を聞くと、「7518本から1万本」と答えた。普通なら下二桁は四捨五入だ。だいたい、とか、まあまあ、を許さないヴァレットの考えがこんなところからも分かる。自根かどうかを聞くと、「98%が接ぎ木。それはフィロキセラの問題とは関係ない。重要なのは、目的とする品質をどうすれば得られるか、という観点だ。我々は4000種類もの土壌調査を行い、それに従って最適な栽培方法を決定していくが、話を簡単にするために分かりやすい例を挙げよう。畑には基本的には砂質、粘土質、礫質の3タイプの土壌がある。砂質土壌では根は深く伸びなければならない。粘土質土壌では横に張らないといけない。礫質土壌では石の隙間に根が入っていきやすいように細根が多くなければならない。だからそれぞれに対して、101-14、3309、110R台木を使用する。こうしてどの区画においても均一な、我々が望む品質のブドウが収穫できる」。ヴィックのワインのひとつの顕著な特徴は、ラグジュアリーな心地よさをもたらすしなやかな果実味とストレス感のなさだが、彼の説明を聞けば、その理由のひとつがブドウに対する安定した水分供給だというのが分かる。偶然の結果としての品質ではなく、目的とする品質をもたらすべく自然に働きかける意思の重要性を彼は説くのである。「すべてに関して、精密であれ」と。

 380ヘクタールの畑は285区画に細分化されている。土壌と台木と品種の最適な組み合わせが個々の区画を決めるのだが、ここまで細分化しなければならないのは、「ひとつの区画をひとりの人間が責任を持って管理できる最適なサイズにしなければ、仕事がおろそかになり、結果としてブドウの質が下がる」からでもある。「ワイナリーとはホーリスティックな存在であり、その中には労働者も、彼らのモチベーション維持・向上の仕組みも含まれるのだということを多くの人は理解していない」。
※丘の上に建つヴィックのホテル入り口から畑を見下ろす。総面積は4300ヘクタールもある
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収穫は夜の7時、外気温6度から8度の時に行われる。香りや酸のフレッシュさを保つには大事なことだ。収穫されたブドウのうち、特に優れた30%のみを自社のワインに使用し、残り70%は8社に売ってしまう。どんなに完璧を尽くしても、年によって区画ごとの出来は異なる。必要をはるかに上回る素材供給能力を持つことこそ、毎ヴィンテージの質的レベルを高位安定させる条件なのである。

振動台付き選果台、光学選果台、そして人の手による選果台を経て、完全に熟度の揃った完全な状態のブドウのみが得られる。ひとつの区画にひとつの発酵タンクが割り当てられる。タンクの数は全部で75基ある。

書いているときりがないこうしたディティールの積み重ねは、往々にして息苦しい神経質さとうっとうしい重たさに辟易とさせられるようなワインへと帰結する。しかしヴィックはそうではない。肉体性・物質性を離れた、極めて抽象的な味がする。すなわちプラスとマイナス、明と暗、右と左、といったあまたの相対性の中点へと収斂しているかのような味だ。ワインとはいくつものパイプをつなげた長いチューブのようなものだ。ひとつひとつのパイプが詰まっていたり、凹凸があったり、継ぎ目が揃っていないと、チューブのこちらから向こうまでを見通すことができない。しかし完全なチューブなら、チューブのこちら側と向こう側は透明な視界で連結され、チューブそのものは無と同義となる。完全を求めて有に至ればそれはバベルの塔であり、滅びへの道であるが、完全を求めて無に至ればそれは涅槃であり、永遠の命への道である。ゆえにヴィックは、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの次の言葉がふさわしい稀なワインなのだ。「これ以上付け加える物が無くなった時でなく、これ以上取り去る物が無くなった時が完成だ 」。
※ヴィックはホテルとレストランを併設している。究極的に贅沢なワインツーリズムが楽しめるだろう。ホテルのロビーの写真をいくつかお見せしたい。さりげなく壁にかかっている絵は、なんと、アンセルム・キーファーだった。
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※ホテルは各部屋別々のインテリア・デザイナーによって手掛けられている。これはアズレホという部屋の内装。
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※これはバスルームだが、室内全面が壁画になっている。
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