トレンティーノのラヴィスの北、小村プレッサーノの裏道、ワイナリーがあるとは想像できないような場所に居を構える、所有畑4ヘクタールの小さな生産者。1991年が初ヴィンテージと比較的新しい。ここはチェスコーニやフォラドーリ等計10ワイナリーで構成するかのイ・ドロミティチのグループの一員であり、ナチュラルなワインを好むファンにとっては忘れてはならない造り手だ。
※二代目となるアレッサンドロ・ファンティさん。静かに、しかし確
しかしオーガニック認証はない。取得する気もない。当主アレッサンドロ・ファンティさんはこう言う、「オーガニックとは農業にとってノーマルなことであり、それをさも特別なことのようにラベルに掲げるほうがおかしい。いま世の中でノーマルとされていることがアブノーマルなのだ」。現状のDOC制度にも疑問があり、「コマーシャルなトレンティーノDOCには反対だ」として、彼のワインはあえてヴィネーティ・デッレ・ドロミティIGPとして販売される。
※テイスティングルームとは小道を挟んで反対側にある醸造室。白ワ
確かにトレンティーノという包括的なDOCはよくわからない。カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、ピノ・ネーロ、シャルドネ、ピノ・ビアンコ、ピノ・グリージョ、ソーヴィニヨン等々という認可品種リストを見ても、まるで有名国際品種一覧のようで、これがラングドックならAOCではなくIGPだ。最大収量がヘクタール当たり15トン(ピノ・ビアンコやシャルドネの場合、ソーヴィニヨンやノジオラでは14トン、カベルネは13トン等、品種によって異なる)というのはいくらなんでも多すぎで、まるでワインコイン・チリワインのようだ。
トレンティーノDOCはマンツォーニ・ビアンコを許可しておらず、ブレンド用の補助品種としてのみ認めている。ファンティがこの規定に承服するはずもない。イ・ドロミティチの生産者紹介ページに載る代表ワインがこの品種だということからも分かるとおり、ファンティはなによりこの品種の生産者として知られているからだ。
マンツォーニ・ビアンコは、コネリアーノ醸造学校のルイジ・マンツォーニ教授が1930年から35年にかけて開発した交配品種だ。親はリースリングとピノ・ビアンコ。日本でマンツォーニ・ビアンコといえばフォラドーリの名前と直結するだろうが、彼女のワインはアンフォラ発酵の個性が強く(それにしても、アンフォラはニュートラルでブドウやテロワールの個性がそのまま伝わる、と言う人が多いが、本当にそうか? アンフォラはアンフォラの味、樽は樽の味、ではないのか?)、もちろん敬服すべきワインであるにせよマンツォーニ・ビアンコらしさを理解するための好例にはなりえない。しかしファンティのワインは、まさにピノ・ビアンコ的なパイナップル的トロピカル風味とリースリング的な酸とミネラル感を備え、両者の交配以外の何物でもないような個性。これはおもしろい。ファンティのフラッグシップといえるイシドールは標高600メートルにある赤粘土の畑に植えられたマンツォーニ・ビアンコのワインで、よりリースリング的な個性が強まり、心地よい緊張感を伴う力強さが印象的だ。これを飲めば、マンツォーニ・ビアンコの可能性を、アレッサンドロと同じく信じることができるようになる。
※部屋の中には彼が属するイ・ドロミティチの他の生産者のワインが
堅牢なミネラリティというのは、マンツォーニ・ビアンコのみならず、彼の造るシャルドネやソーヴィニヨンにも共通して感じられる特徴だ。そのひとつの理由は無灌漑であろう。トレンティーノ=アルト・アディジェでは灌漑が一般的なのだが、そして彼の畑にも灌漑設備があることはあるが、「全く使っていない。ソーヴィニヨンの畑には設備もない」と言う。
なぜ灌漑が必要なのか。トレンティーノは年間降水量900ミリ程度と雨の多い場所だ。相応の年間降水量があっても夏季には極度に乾燥するナパやマイポなら灌漑の必要性を理解するとはいえ、日本と同じようにここでは雨はブドウ生育期から収穫期にかけて多く降る。もちろん正当な理由はひとつしか考えられない。先に見たようになヘクタール当たり14,5トンという巨大収量を確保するためだ。
トレンティーノ=アルト・アディジェ最大の問題点は灌漑にあることは明白なのだが、彼らを責めるわけにはいかない。ようはワインが安すぎるのだ。そのようなワインでよしとする消費者に問題があるのだ。一般的なトレンティーノDOCワイン(スーパーで見ると5,6ユーロだ)の倍近い金額を出す気があるなら、そしてファンティのように一本15ユーロならなおさら、全員が無灌漑でも栽培可能で高品質ワインにふさわしい収量レベルに落とすことができるだろう。切り立った山に挟まれたトレンティーノ=アルト・アディジェの猫の額ほどの農地面積を見れば、ここで安価なワインの大量生産などすべきではないことぐらい誰でも分かる。この地の本来のポテンシャルを十全に発揮しているワインのほうが少ないということは理解しておいて欲しい。それは実にもどかしく、残念なことである。<田中克幸>