※ソーヴィニヨン・ブラン最高の産地として近年注目される、レイダ
チリワインに関する語り口はほぼ固定化されている。チリワインは数量ベースで日本市場最大の輸入ワインである。チリワインの単価は極めて低く、ワインにさしたる興味のない一般的消費者に向けた商品という位置づけである。しかしチリワインの本来のポテンシャルは極めて高く、偉大なワインが数多く生産されており、そうしたワインにもっと注目すべきである。そう、その通りだ。まるで、そこで話がすべて終わってしまうぐらいに、その通りだ。
日本の誰もが同じことを言い続けているのに、チリはいつまでたってもスーパーマーケットやコンビニエンスストア用ワインだ。ワインファンのあいだでチリワインが好きという人がどれだけいることか。仮に誰かが私に「どんなワインが好き?」と尋ね、「チリワイン」と答えたら、「ああ、チリワインね」と落胆され、「この人とはワインのディープな話はしないでおこう」と思われるだろう。他人が作り上げたイメージを無意識に内面化してさも自分自身の明確で創造的な価値観でワインを選んでいると思い込んでいる、一番やっかいで中途半端な“ワインファン”とはワインの話をしたくないと思っている人には、「チリワインが好き!」と明るく答えておくことをお勧めしたい。
上質から高級なワインを買おうというとき、本来ならその価格帯においてチリは世界屈指のおいしさであることを知的な意味では万人が理解しているとはいえ、実際に手が伸びる先には青白赤や緑白赤や赤黄の国旗がはためく。それらの国々は国そのものに対するイメージ訴求がうまい。それがワインの周りに巨大な付加価値の外套をまとわせる。贈答需要が多いデパートのワイン売り場にチリが少ないという事実ほど事態を可視化するものはない。ワインにはシンボリックな価値がある。それは歴史上長いあいだ、それこそ数千年のあいだ連綿として続いてきた。そうでなければワインはただのアルコール飲料だ。だから私は、一般消費者にとってのワインの象徴消費を否定する気はまったくない。
この観点からするなら、チリワインの付加価値の乏しさは、ひとえにチリという国に責任がある。私はチリで繰り返し言っていた、「日本を見よ。小さい国ではあるが、日本料理、日本の芸能・文化、アニメ、禅や石庭、その他いろいろ世界中で知られている。その点、チリはどうだろう。アンデスやパタゴニアといったチリの自然はともかく、文化に関して外国で何が知られているというのか。なにもないに等しい。チリ料理のひとつでも答えられる人が日本でどれだけいるか。ではチリには文化がないのか。もちろん固有の文化がない国など存在するはずがない。チリの政府には文化発信力がないのだ。チリが輸出するのは銅であれ、雲丹であれ、素材であって、製品アッセンブリーの文法を支える文化ではない。チリワインは素材でしかなく、すなわち素材としての価値しかなく、それ相応の価格しか支払われない。しかしワインは本質的に素材消費ではないのだ」。
こうした問題を短期的に改善することはできない。個々の生産者の責任に転嫁するのは間違いだ。それでもチリのまじめで前向きな生産者は、チリワインの価値を上げるべく、品質向上という基本的努力を怠らない。それは飲めばたちどころに理解できることだし、彼等の努力は尊敬に値するものだ。だから今のチリワインはおいしいのだが、それと同時に彼等は、マーケティング技法として超高価な「アイコンワイン」を次々に投入する。1万円、2万円という価格のワインがあれば、その生産者は高級ワイナリーとみなされ、高級ワイナリーが造る売れ筋の低価格ワインの付加価値は高まり、競合力が増すからである。付加価値が国から与えられないなら、自分でなんとか作り上げるしかない。よってその戦略はビジネス的には正しい。
今回の取材のあいだ、数多くの「アイコンワイン」を飲む機会があった。もちろんおいしいのだが、その下にあるプレミアムワインとの品質差があるとは思わないし、むしろ個人的には、考えすぎ作りこみすぎで抜けが悪いものが多いと思った。例えば新樽比率が上がって樽熟成期間が長ければ味が疲れてしまう。「同じ畑から作られていて、生産コストも大差ないことは明らかなのに、なぜアイコンがプレミアムの2倍3倍の値段がするのか」と、答えは分かっているとはいえ、生産者に聞いた。ある人は言った、「世の中、高ければおいしいと思う人がたくさんいる。それに、高いワインを買う人たちは、高いということそれ自体の意味あいを買っている」。チリの人は正直だ。高ければ買える人は限られる。よってそれらのワインは購入者の自己満足につながり、他者への顕示効果が増す。どんな味なのかはさしあたって関係ない。少なくとも著名評論家が95点といった点数をつけていればそれで充分だ。アイコンワインの過剰に華美で下品なパッケージング(金箔、金属ラベル、超重量ボトル、豪華木箱、長々とした解説書等々)を見れば、それがなんのためにあるのか、それがどんなセンス・思想の人に向けて造られているのか、そういった世界の住人ではない読者の方々には一目瞭然である。
何も言われなくとも、ブラインドで飲んでも、それが偉大なワインであるということを自然のメッセージとして感じ取れる人間と、そうあるべきとして努力する人間だけが、本来ならば高級ワインを飲む資格がある。しかし現在の高級ワイン市場をけん引しているのは、有名な名前と高い値段が好きな人たちであろう。おかげで普通のワイン愛好家からすれば、最上質のブドウが納得しがたく高価なワインに回され、純粋に質を追求するという姿勢からすればある意味不誠実な使われ方をされていると映ることだろう。企業全体の価値を上げるべくアイコンワインの宣伝に費用が使われるため文字情報的露出が多いのはアイコンワインだとしても、私は取材の結論のひとつとして、そして自分なりに考えた結論のひとつとして、皆さんに言いたい。今おもしろいのも、おいしいのも、買うべきなのも、メディアやマニアを賑わすアイコンではなく、スーパーマーケットの店頭に並ぶベーシックやミディアムレンジでもなく、その中間の階層のワインである、と。
これから続く取材記事でもそういったプレミアムワインの話が多くなる。ところがそういったワインが一番売られていない。そればかりか輸入もされていないものも多い。どうしてなのかは問うまでもない。売れないからだ。ワイン鑑賞趣味の対象としてチリワインをみなす人がいないからだ。
ワイン趣味の対象としてのワインとはそもそも理想的にはどういったものだろうか。それはまず偉大なテロワールのワインであり、特別な土地だけがもつ特別なエネルギーを我々に与え、我々を自然との合一に導き、超越的な何ものかからの啓示によって我々を覚醒させるようなワインである。そして生産者の生きざまや思想、美意識がそこに反映され、飲むことによって生産者との魂の交わりを感じることができるような、芸術としてのワインである。また、そのワインを生み出した国、文化、民族の歴史が味わいの中に浮かびあがり、人間の崇高な思いと努力の積み重ねに対して、ひとりの人間として深い共感と尊敬を抱くことができるようなワインである。
ではそのようなワインがチリにあるのか。最も重要な第一の点に関してはなんの問題もないばかりか、偉大なテロワールを感じさせるワインの宝庫がチリなのだ。飲んだ瞬間に自然の壮大な力が身体の奥まで届き、さらに身体の内側から湧き上がってくる感覚はチリ独特だ。ひとことで言えば濃いワインである。最近の日本では、特にワイン好きのあいだでは、濃いワインを否定し、エレガントではない、と見下す傾向がある。しかし「濃い」にはふたつの種類がある。自然に濃い(グラン・クリュはみな濃いワインではないか)ワインと、抽出が強いワインである。このふたつを混同するのは偉大なワインに対する侮辱以外のなにものでもない。うれしいことには、チリでは近年、限定地区ワインや単一畑ワインの興隆が見られる。彼ら自身がチリの偉大なテロワールを意識したワインが増えてきている。そういったワインにおいては、物質的な強さと別次元にある自然な力としての濃さが素直に感じられる。これが最近のチリの素晴らしさである。
芸術としてのワインは数少ない。なぜならチリワインは巨大産業であり、個々のワイナリーの多くは相当程度大組織であって、個人が栽培から発送までを手掛けるような個人プロジェクトとは異なり、芸術性が発露しやすいとは言えない。しかしボルドーやシャンパーニュも概して大組織のワインでありつつも芸術性を感じさせるのだから、ようは組織の問題ではなく目的設定や動機の問題である。取材記事中に触れるが、創造性に富んだ芸術としてのワインが増えてきたことが今のチリのおもしろさなのだ。これは今まで見られなかった余裕のなせる遊びである。もちろん芸術は最上の意味で遊びの至高の形態である。
第三の歴史・文化性の点に関しては、ワイン造りの歴史が短い国だけにいまだ試行錯誤の段階である。しかし今までのような抽象的な高品質を求めるのでも、フランスやカリフォルニアのコピーを目指すのでもなく、チリらしさを自覚し、チリらしいワインを造ろうという流れは確実に存在している。我々は彼らのアインデンティティー模索の旅を共に歩むことで、チリという国、民族、文化をワインの中で形あるものとして把握できるようになる。産地アイデンティティーを確立しようとしていたカリフォルニアの70年代、オレゴンの80年代を覚えている人なら、あの興奮に満ちた挑戦とその結果としてのワインの楽しさを、今のチリにおいて再体験できるだろう。出来上がった様式を鑑賞するのもいいが、いま生起している運動を実感するのもワイン鑑賞の楽しみである。
だからチリワインはワイン鑑賞趣味にとって最高の対象となるものなのだが、何度も言うように、そのようなワインが日本に入ってこない。取材先でおいしいと思ったワインに限って日本に輸出されない。ま、私と同じくマイノリティーの味覚をもつ人は、「一生チリ・カベとか言ってろ」とふてくされるか、それとも地球の裏側チリに24時間かけて行って飲むしかないということだ。道は、遠い。
その遠い道へと私を招いてくれたのは、チリワインの広報活動を政府系組織とは別に独自に行っているBrandabout社。彼女らは毎年世界じゅうのワインジャーナリストをチリに招待しており、日本からも今まで多くの方々がチリを訪問し、私の手本となるような素晴らしい仕事を残されている。招待といっても記事の内容には縛りがないし、記事広告とは無縁なので、私のような好き勝手にモノが言いたい人にとっては本当にありがたい。運転手兼ガイドを務めて下さったBrandabout社員、Suzana Gonzalezさんには特に謝意を表したい。彼女の完璧なまでにプロフェッショナルなスケジューリングと解説と通訳なしには、私はチリワインの素晴らしさの半分も理解できなかっただろう。
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