コラム 2016.06.03

シャスラーを考える Terravin、Lauriers de Platine審査会に参加して

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 スイスはなにに関しても独自の路線を行く国だ。外の風がどう吹こうと、己の行くべき道を自覚している。その道を行く手段を持っている。己の強みがなにかを自覚している。その強みを恒常的に再生産するすべを知っている。

 スイスワインの魅力は、他の何ものにも似ようがないことだ。もしそうでなければ、スイスワインなど、その小さな国土と生産量を考えれば、たちどころに埋没してしまうこと必至だろう。

 スイスワインの美しさは、スイスの国土の美しさの反映である。それはアルプスの大自然の、いやそれ以上に、人の手になる都市、村々、個々の家の整然とした秩序と清潔さの鏡像である。

 スイスワインの特徴は、安心感である。危うげのない安定感と信頼感は、まさにスイスが作り出す数多くの産品にも共通する個性だろう。そしてそれは、高度な技術的背景は当然として、自分たちがどのようなワインを必要としてどのように造れば正しい結果が得られるのかを理解しているからこそ生まれる。

 一度でもスイスワインを集中的に飲む機会があれば、好き嫌いは別としても、その「スイス性」のおそるべき明瞭性と一貫性に驚嘆することになる。そしてそれが好きなら、スイスワインはその人にとって忘れがたいものとなる。

 このような特質をすべて備えたワインとする品種が、シャスラーである。シャスラーはスイスだけに存在する品種ではないが、スイス以外では傑出したワインにならない。それはシャスラーがスイスの気候や土壌に合致するからだけではなく、シャスラーが他とは異なるスイス的なるものをよく体現するからである。

 スイスワイン、とりわけシャスラーにないものは、過剰性である。ほとんどすべての生産量が国内消費されるスイスワインは、想定外の状況におけるマージンを味の中に作らない。誰がどういうふうに飲むのかは、スイスにとって自明である。

※ラヴォーの畑。目の前にレマン湖、対岸はフランスのエヴィアンだ。

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話を分かりやすくするために、工業製品を例にとる。テレビは国ごとの好みの色に調整できるようになっている。日本は白の色温度が高いものを好み、インドは彩度が高いものを好む。かつて父が乗っていたシトロエンは冷房の効きが過激だった。「フランス仕様の冷房では日本の夏に対応できず、中近東仕様を輸入しているから」という回答だった。対照的に、かつて私が乗っていたアルファ・ロメオはワイパーが効かず、土砂降りの中の運転が危険きわまりなかった。「イタリアではそもそも雨があまり降らないし、土砂降りがないから」という回答だった。

輸出産品にとって、製品のその国における使用状況の想定は必要不可欠であり、そのためのマージンを確保するのは製品設計の一部である。しかしスイスワインは輸出産品ではない。昔のアルファ・ロメオのようなものである。だからスイスワインを味わうためには、大雨の中の運転をしてはいけないのだと、つまりイタリアの天気が日本と違うのだと、知らねばならない。知る気もない人は、その魅力を十全に楽しむことができるとは思わない。必然的に、スイスワインは知る人ぞ知るワインとなる。強烈な太陽によるパワフルな果実味とタンニンパウダー添加による大量のタンニンと補酸による必要以上の酸が合体した、マージンの大きな、某国の輸出用大量生産ワインの対極に位置するのがスイスワインであると表現したらわかりやすいだろうか。

ハードルが高いと思われるかもしれない。しかし食中酒という意味でのスイスワインならば、その使用状況は相当程度日本でも我々消費者自身が再現できる。なぜならスイスの食といえばチーズであり、幸いなことに日本にはスイスチーズが大量に輸入され、フォンデュもラクレットも作ることができるからである。

 チーズは固まってはいるが、肉のような意味での固体ではなく、口の中では粘性の高い液体のようにふるまう。ましてフォンデュやラクレットは液体である。知る限りほぼすべてのスイスの白ワインに共通する味の特徴は、この溶かしたチーズ的な「流れ」である。その中で、具体的な例を挙げるなら、レマン湖畔地域西側ラ・コートのシャスラーは極めてソフトで、すべてが液体のフォンデュによく合い、レマン湖の東の山中の産地であるヴァレのシャスラーは硬質な芯があり、固い外皮を一緒に食べるラクレットによく合う、といった違いが出てくる。難しいことではない。

 しかしワインを知るとは、その使用法を知ることと同義ではない。その背景にある精神のありよう、美意識、価値観を知る必要が生じる。あるイデアがあって、ある形質へと結実するからである。これはハードルが高い。私は日本人であってスイス人ではない。ではどのようにして後天的にそれらの精神的価値基準を理解することができるのだろうか。

 それはスイス人の専門家、またスイスワインの権威であるスイス人以外の人たちとともに、スイスワインをテイスティングし、何がよく何がよくないのかという彼らの判断基準を観察し、それを自らのものとすることで得られる。2015年11月18日にスイス、ローザンヌで行われた、テラヴァン主催の2015年度プラチナ賞審査会、Lauriers de Platineは、私にとってそのような理解を得るまたとない機会となった。

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プラチナ賞にエントリーするワインは、ヴォー州ワインの品質向上を多角的にサポートする(技術指導、PR、審査等)団体テラヴァンの厳格な品質審査基準に従って選ばれた、ヴォー州La Côte, Lavaux, Chablais, Bonvillars, Côtes-de-l'Orbe そしてVully各産地の金賞受賞シャスラーワインである。既に金賞じたいが厳選されており、ラベルに記されているとおり、消費者の絶大な信頼を得る「QUALITE GARANTIE」である。そこからさらに選ばれるプラチナ賞とは、その年の真に最上のシャスラーに他ならない。もちろんプラチナ賞ワインは瞬時に売り切れ、受賞蔵は誇らしげにそのラベルを掲げ、スイスのトップワイナリーの地位を得る。日本ではほとんど知られていないが、スイスでは大変な権威をもつ賞である。

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日本からは、スイスワイン輸入業者である杉山明美氏と私が審査員として選ばれ、高名なスイスのエノロジストやソムリエやジャーナリストの方々と同じテーブルについてテイスティングした。シャスラーのワインに関してはそれなりに(といっても他の審査員と比べたら微々たるものだが)素晴らしい経験をしてきたので、私はすでに自分の中で「優れたシャスラー」のイメージはできていた。それが正当なものなのか、自分の価値尺度はどの程度当てはまるのか、それを検証したいと思った。

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優れたシャスラーである以前に優れたワインでなければならない。スケール感、構造、複雑さ、バランス、フィネス、余韻、香りのよさ、といった、こうしたワイン審査における基本的な項目は理解している。これらの項目で疑問符が付くワインには私は高評価を与えない。そうして見ると、審査会に供された16のワインすべてがシャスラーとしては魅力的であっても(それは当然ながら例外はない)、一般的基準における偉大なワインだとは言えなかった。特に培養酵母臭さと余韻の短さゆえに評価を下げた部分が大きい。

とはいえ、それらの一般的基準のみで一元的に審査するならLauriers de Platineではない。それらを満足した上で、スイス、ヴォー州のシャスラーとしてあるべき姿は何かというヴィジョンがなければならない。私の考えの一部はすでに冒頭で述べた。そして日頃から思い、また言っているのは、シャスラーは「無」であって、物質的実体感と力感に対するアンチテーゼでなければならないということだ。さらに具体的に言うなら、私がプラスの要素として着目したのは、寛大さ、しなやかさ、やわらかさ、酸のふくよかさ、のびやかさ、包み込むようなやさしさ、無駄のなさ、軽やかさ、空気感、気品である。それらなくして、ヴォー州のシャスラーはないと言いたいぐらいだ。

実際の審査方法は独特だ。まず16本からブラインドテイスティングで上位8本を選び出す。次にその8本が順番を変えられて出され、ブラインドテイスティングで上位4本を選ぶ。同じようにして次は上位2本。そして最後、その2本のうちからプラチナ賞が選ばれる。テイスティング中はもちろん黙っているが、それでも一言二言はしゃべる。周囲の人間がどのワインについてどうコメントし、ブラインドテイスティングの結果がどうなるかを観察すれば、どういうシャスラーが優れているとみなされるのか、おのずとわかる。

わかりやすく言うなら、ソフトな気配型とハードな構造型と二つの方向性の中での戦いである。私がふたつ前の段落で述べていたような特質は気配型のシャスラーに着目したものだ。そしてみっつ前の段落で述べていた一般的品質というのが構造型のシャスラーに顕著なものだ。そのふたつの方向性のどこをバランス点とし、どれだけ両者の美点を高い次元で両立させているのか。それこそが「優れたシャスラー」の評価軸である。

二位と三位になった二本はなんと同じ生産者、日本でもおなじみCroix Duplexの手によるものだった。除草剤を使わない彼らのワインは酸、ミネラルともにいきいきと力強く、どの作品も安定して優れている。そしてその二本のうち、Epesses Grand Cruは気配型、Calamin Grand Cruは構造型である。シャスラーワインのふたつの側面を、これほど高度な品質で、甲乙つけがたく体現する例は珍しい。だから、その両者を二位、三位として選んだというだけで、いかにこの審査会のレベルが高いかというのも理解できるだろう。

同じ丘の斜面の上下の違いであるEpessesとCalaminでは前者が気配型で、そちらが点数が高い。そしてこれらのグラン・クリュはラヴォーであり、その東(降水量の少ない内陸の急斜面)のシャブレは構造型、その西(降水量の多い湖畔の緩斜面)のラ・コートは気配型に傾く。このまま演繹していけば、どういったワインがプラチナ賞になるかは想像がつくだろう。

※プラチナ賞ワインは、このボーレのフェシーに決まった。

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それはBolleの手になるLa Côte AOC, Féchy,“Filet d’Or”だった。悩みに悩んだだけに、今でも決勝テイスティングのふたつのワインはよく覚えている。これが他の審査会だったらより堅牢なミネラリティを備えるEpessesを上位にしたかもしれない。しかし私はずっと、どちらが「シャスラーらしい」かを考えていた。思案の末に私も一位としたこのプラチナ賞ワインは、おおらかに自分を包み込んでくれる広がり感があった。なにひとつ突出することなく、いろいろな要素がおさまりよくバランスしていた。がんばりすぎた力こぶがなく、手慣れた余裕感があった。そして、こういうワインと一緒にチーズ・フォンデュを食べたらおいしいだろうなと思わせる、料理への親和性があった。ワインマニア的な視点からはおもしろくはないが、「これがシャスラーなのだ」、という自信があった。

私の並びに座っていた著名なエノロジストは私に言った、「我々の評価は似ている。君はシャスラーのことがよくわかっている」。なんとありがたい言葉か。シャスラーとは何かを考えてきた甲斐があった。<田中克幸>

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