コラム 2016.02.24

ワインにおけるオリエント的というもの

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世界はひとつではない。少なくともワインに関しては。ワインの本質的な魅力とは多様性にある。ひとつの世界のひとつの価値基準によって造られるひとつのスタイルのワインだけが何万種類あれど、我々にとってのワインの楽しみは得られない。 

 ワインはひとつひとつが別のものである。ゆえに究極的には完全な個別論のみが正当的のようにも見える。いかなるグループ分類もカテゴリー設定も、それは悪しき「ひとつ」への道をひらくものと批判されるかもしれない。 

 しかしそれは0か1かという極端な二分法である。いままで私は、ワインには集中型と拡散型があります、重心が高いものと低いものがあります、等々と言って、ワインのグループ分けの方法をいくつも提示してきた。ワインは、いろいろな方法によって、いろいろなグループに分類されうる。たとえば赤と白、スティルとスパークリングといった分類法はよく知られるとおりである。そのことによって我々は、ワインの個別性が失われるのではなく、逆にワインの個別性の根拠となるそのワインの個性そのものが浮かび上がってくるのだということを経験している。そのためには分類法がじゅうぶんに数多く存在していなければならない。分類法の数が多ければ多いほど、ワインは一般化の罠を逃れると同時に、不可知論的な完全個別論の暗愚をも排することができる。 

 ワインの有用性評価にとっては、グループ分けは必須である。甘口なのか辛口なのかという分類なしに、デザートに合うのか合わないのかという評価は成立しないようなものでる。しかしワインの分類は、そのような対物的相性にとっての有用性という観点からなされるだけではない。対心理的相性によっても分類されうる。たとえば陰陽という分類がそうである。ワインの分類法は、ワインを飲む各個人が自らの思考様式や嗜好性や利便性に基づいて創出し、それを他者と共有していくべきものである。ワインはひとつより百の視点や分析指標から把えるほうが、そのものの本質により近づき、そのものの我々に対する価値の実現度をより高めることになるからである。 

 私は今回、「オリエント」と「オクシデンタル」という分類法を提示したい。オリエントとオクシデンタルとは東洋と西洋の意味であるが、日本語で言うと関東軍参謀石原莞爾の最終戦争論的、東洋の王道と西洋の覇道的な話と思われるだろうから、やめておく。これは日本や中国といった東洋とヨーロッパやアメリカのような西洋という地理的分類、原産国区分の話をしているのではない。

 

 ワインにはオリエント的なワインと、オクシデンタル的なワインが存在する。ひとつのワインの中にさえ、オリエント的な側面とオクシデンタル的な側面が存在する。これはある気配、あるたたずまい、ある示唆される観念、に関する分類である。

 ここで言うオリエント的なワイン、また味わいとは、以下のような内容を複数含んでいるようなワイン、また味わいである。

1、          多神教的、つまり至高性価値尺度が単一ではないこと。

2、          水平的な形と広がり。

3、          要素間コントラストの弱さ。

4、          寛容さとあいまいさ。

5、          深層心理・情緒訴求的。

6、          ディオニソス的。

7、          分散的・非体系的。

8、          文化的。

 それに対してオクシデンタル的なワイン、また味わいは以下のような内容である。

1、          一神教的。

2、          垂直的な形と伸び。

3、          要素間コントラストの強さ。

4、          厳格さと明悧性。

5、          論理訴求的。

6、          アポロン的。

7、          集中的・体系的。

8、          文明的。

 これらふたつは相補的な概念であり、どちらかが優位に立つという考えではない。ところがワインの一般的な評価軸においては、オクシデンタル的なワインのほうがオリエンタル的なワインよりも優れているとみなされがちである。そしてワインコンテストのような場においては明らかに、よいワインの内容とはよりオクシデンタル的であることを意味しているように、結果から、そして実際のコンテストの審査過程から、見受けられる。 

 現代のワインにおいては、オクシデンタルがオリエンタルより優勢である。それでいいのだろうか。それは我々の価値観に正しく対応しているものなのだろうか。オクシデンタルの優勢を作り出してきたのがワイン生産とワイン評価基準において支配的な地位を占めてきた西洋人なのだとしたら、東洋人である我々はオリエンタルワインが表現する気配、たたずまい、観念を自覚し、正当な立場に位置づける責任があるのではないだろうか。

<田中克幸>

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