コラム 2016.07.15

トレントの地に足の着いたワイナリー マルコ・ドナーティ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2015 10 オーストリア 194

※ワイナリーの前にあるラグレインの畑。樹齢は65年を超える。仕立てはペルゴラ・トレンティーノで、主枝を両側に伸ばす。株密度はヘクタール当たり700本、収量は9トン。摘房するのではなく、房の下側を切り取るグリーン・ハーヴェスト。その作業にはヘクタール当たり80時間もかかるそうだ。向こうに見えるのが竜がいたという崖。

 1863年創業の老舗の6代目エリザベート・ドナーティさんは、出会いがしら、「なんでうちみたいなところに来たのか。どうやって探したのか」。そう聞かれるのも当然だろうと思う、田舎ふうの、普通の中規模ワイナリー。古くも新しくもない家があり、労働スペース然としたセラーがあり、横に畑があり、駐車場前の瓶詰めラインでは父親と従業員がラベル貼りと梱包作業中。普通、だ。

 外国からあえて短い時間でトレンティーノを訪れるなら、ガイドブック高評価の有名生産者か、超大手か、新進気鋭か、変人ヴァン・ナチュール系か、という選択が普通だろう。書き手にしてみれば、書きやすい対象。プロなら商売がらみというケース。自分でそれを売っている、とか、輸入元との諸般の関係、とか。今回は、ほとんど『ダーツの旅』状態。ただなんとなく、ピンときて、訪問させていただいただけ。だからエリザベートさんへの答えは、「直観で、おいしそうだったから」。

※エリザベート・ドナーティさん。家族経営のこのワイナリーでセールスを担当。ワイン造りを担当する父親と同じく名門サン・ミケーレ醸造学校出身なので、将来は父親に代わって彼女がワインメーカーとなるのだろう。話していて、よいセンスの持ち主だと思った。

2015 10 オーストリア 195

飲食店探しでもそうだが、他人の評価を追認したり、その評価を論評するような姿勢は、愛のある趣味とは言えない。なにも先入観のないところで判断対象(寿司であれ、ワインであれ、絵画であれ)が目の前に出されて、それをどう捉えるのか、どこがどうしてよく、どこがどうしてよくないと思えるのか、を考えるのが楽しいのだ。そして私の立場にとっては、その産地で何が普通なのかの基準点を(「普通」の定義自体を含めて)探すことも仕事の大切な一部だ。

普通という感覚を自分の中にしっかりと持つことは、ワインの判断にとって不可欠だ。普通が分かっているから、普通ではない部分、つまり創造的・革新的なところも見えてくる。オープニングクレジットから映画が始まるのが普通で、誰もがそういうものだと思っていたから、クレジットなしで突然始まった『スターウォーズ』のすごさが評価できるようなものだ。

日本におけるワインのプロは皆、その普通をしっかりと学習している。トレンティーノのテロルデゴであれノジオラであれ、それがどういう味であるべきものなのか、個人個人は原産地での長年の試飲経験を通して理解している。その上で、普通でないもののすごさを評価し、それを売る。いわばワインのプロとはフォーヴィズムを広めたガートルード・スタイン、ゼツェッションを支えたカール・ヴィトゲンシュタイン、ポロックを認めたペギー・グッゲンハイムのような役割である。

それらの芸術運動が意味をもつのは、社会の側に普通の絵の観念が存在しているからだ。ではワインの普通とは何かが十全に理解されているだろうか。それはほぼ原理的に無理なのだ。なぜなら普通を知るためには産地や現地での試飲会に通ってテイスティングを重ねる以外にないが、一般消費者にその時間はないからだ。しかしプロにとって普通は自明であって、もはやそこには興味をもてず、その先に何があるのか、何ができるのか、が重要な関心事になる。その結果として、消費者が普通の観念を獲得する以前に、普通ではないワインが日本には多く出回る。むしろそれが普通になる。

普通の絵が存在しない中で、デュシャンの『階段を降りる花嫁』的なもののみが存在している1910年代、またデ・クーニングの『女 1』的なもののみが存在している1950年代のニューヨークの状況を想像してみて欲しい。それらの絵画のためにも、それは好ましいことだろうか。だから我々消費者は、いくら日本でトレンティーノ(それはトレンティーノだけの問題ではなく、全ての産地でも同じだ)のワインを飲んでも理解できないのであって、自らが普通を探し求める旅に出る他ないのである。

※白ワインの瓶とラベルはドイツ語圏な雰囲気で、キャップシールにVDPとあってもおかしくない古典的スタイル。赤ワインのラベルはずいぶんと朴訥。同じワイナリーの作品とは思えないが、こういうユルさもまたいい。

2015 10 オーストリア 200

予想どおり、マルコ・ドナーティのワインは、素直で気取りがなく、肩に力が入らない、誠実で飲み飽きないおいしさ。ノジオラはトレントの西南にある小さな湖が連なるヴァレ・ディ・ラーギのエリア、標高450メートルのモレーン土壌の畑から。典型的な温かみのあるヘーゼルナッツの香り。適度な華やがあって、質感がソフトで、酸が固くないのにビビッドで、性格がポジティブで、心地よい。「野菜のパスタやアスパラガスに向く」とエリザベートさん。こういうワインを探していたのだ。

赤ワインのおすすめは、ラグレイン、テロルデゴ、マルツェミーノ三分の一づつの混醸、つまりアディジェ川の北から南までの黒ブドウ品種が一堂に会した、シチュラ。樽は使わず、リッチでフルーティでソフトな味。「サラミ用」だというが、それはおいしそうだ。

※22ヘクタールの畑にしてはちょっと狭くて仕事が大変そうな発酵室。ワインはステンレスタンクで発酵。サングエ・ディ・ドラゴはバリック(三年間使用)で1年半ほど熟成。

IMG_2875

看板商品は、ピアナ・ロタリアーナを代表する品種テロルデゴ100%のサグウエ・ディ・ドラゴ。ノーチェ川が運んだ、石灰岩、斑岩、花崗岩の礫が混じる沖積土壌の畑からのワイン。竜の血、という名前は、「みんな知っている、あなたは聞いたことないの?」という地元メッツォコロナの伝説に由来する。エリザベートさんがたっぷり語ってくれたところによると、こういう話だ。ワイナリーの斜め前にそびえるメッツァコロナ山はほとんど垂直と言っていいほど切り立った崖になっている。そこに洞窟があり、昔は竜が住んでいて村人たちを困らせていた。かつてこの地の貴族だった若きフィルミアン伯爵は勇気を持って崖をのぼり、洞窟前にミルクと鏡を置いた。ミルクに誘われて出てきた竜が、鏡に映った己の姿を見て驚き慌てたところを、フィルミアン伯爵が剣で刺し殺した。傷口から崖の下の谷間に滴り落ちた竜の血は、テロルデゴとなってこの地に栄えた。「だから伝説ではこの地こそがテロルデゴの本場」。家から竜の洞窟が見えるのだから、彼らのワインとしてふさわしい名前だ。若干樽が強いものの、余韻が長く、しっかりと腰が落ち着いた、伝統を感じさせる味。老舗ワイナリーの面目躍如と言える風格。煮込み赤身肉料理と一緒に冬に飲みたいワインだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加