※山に囲まれて他から隔絶されたロス・ヴァスコスの畑。平地の一部
90年代末のチリ・カベ・ブームの時には、ロス・ヴァスコスの名前はよく耳にした。なんといってもボルドーでシャトー・ラフィットを所有するロスチャイルド家のワイナリーだ。これ以上のブランドのバックアップはない。しかし当時のロス・ヴァスコスはけっこうミンティな香りと固いタンニンと神経質な味で、あまりいい印象がなかった。
場所はコルチャグア・エントレ・コルディヘラス西端、プキャイに広がる4000ヘクタールの土地。その中の450ヘクタールがブドウ畑であり、他の畑とは隔たれた独立した世界を作りあげている。海からは45キロと近く、夜間の温度は低い。栽培マネージャーのホセ・ルイ・オルティスさんによれば、「カベルネ・ソーヴィニヨンにとっては世界で夜の気温が最も低い土地」だという。この涼しさが、いかにもラフィット好みだ。コルビエールのフォンフロワドにあるドメーヌ・ド・オーシエールもそう。そもそも畑の気配も似ている。
※畑を見渡す場所に、区画ごとの土壌サンプルと分析が置かれている
※畑の中にはところどころこうした穴が開けられ、ブドウの根の張り
十数年ぶりにロス・ヴァスコスを飲んだ。これは楽しいテイスティングだった。どれもこれも、いかにもラフィット好みの味だったからだ。チリという土地で、よくぞここまで自分の美意識を一貫させることができるなと思った。
精密で、冷たい、安易に人と交わらない味。ルーヴル美術館で、ブルボン王朝時代の最高の職人の造った金細工をガラス越しに見ている感覚。人体彫刻や肖像画のように具体的な何ものかを直接的に表徴しているならば対象との関係性を構築できるが、金細工においては図像的な意味は単に契機でしかなく、所有や使用といった文脈からも離れた場合、浮かび上がるのは細工そのものの精度なのだ。最初に出てきたソーヴィニヨン・ブランを飲んだ時に私は言った、「あまりにも洗練されすぎて、いったい世の中の誰がこれを理解できるのだろうか。このワインには直接的に情動的側面に訴えかけるものがなく、ひたすらディティールを磨き上げて、遠くに鎮座している。この美意識を共有している人、ないし、このワインの世界に謙虚に近づこうとする人にとっては、素晴らしいワインだ。しかしチリのソーヴィニヨン・ブランに人は何を求めているのだろう。マーケットが見えない」。
もちろん、ひとつの明確なマーケットは存在する。ラフィットの名前でこのワインを買う人たちである。それでも期待は裏切られない。そこがすごい。確かにラフィット的な孤高の味なのだから、このワインを通してラフィットの世界とつながり、彼らの美意識を愛でることができる。しかしそれはラフィットを知り、ラフィット的要素をこのソーヴィニヨン・ブランの中に探すから可能なのであって、その逆に、このソーヴィニヨン・ブランを飲んでラフィットを知ることはできない。超高価なラフィットを飲める立場にいる人で、あえてロス・ヴァスコスのソーヴィニヨン・ブランを選ぶ人は、よほどのラフィット好き、つまりラフィットのブランドではなくラフィットの美意識が心底好きな人たちだろう。
しかし私にはまだまだ完璧な味には思えない。ソーヴィニヨン・ブランは突き放したような性格のブドウだが、それではラフィットをカベルネ・ソーヴィニヨン100%で造るようなものだ。奥行き、立体感、陰影感が出ない。ソーヴィニヨンにセミヨンと僅かなミュスカデルが計2割加われば表情が出ていいと思うが、「セミヨンは25年前には植えられていたが、酸がなくてフラットな味だったから引き抜いた」。コルチャグアの平地に植えたらそうだろう。しかし標高の高い南斜面、ないしレイダやリマリやマイポ・コスタ(そんな畑はまだないが)やマウレに植えたらどうだろう。ボルドーの人間が、ボルドーの誇るセミヨンを途中であきらめてはいけない。ソーヴィニヨンとセミヨンは光と影のような相補的な存在なのであって、そしてそれこそがボルドーの白を偉大なワインとなさしめる理由のひとつになっているのであって、ボルドーの盟主たるラフィットがチリであえてボルドー品種の白ワインを造ろうとするならば、セミヨンとソーヴィニヨンの完全な組み合わせをチリにおいても実現すべきだと考える。
それが難しいなら、造らないという選択肢も十分に考えられる。このワインはロス・ヴァスコス自身のブドウではなく、カサブランカとクリコにある他社の畑からの買いブドウで造られる。それではボルドー的な“シャトー・コンセプト”からの逸脱であり、その他大勢の大規模ワイナリーと同じになってしまう。世界最高のエリートDBRがその姿勢では恥ずかしくないか。なぜヴィーニャ・ロス・ヴァスコス名義のワインで、自分自身のヴィーニャからではないブドウを使うのか。白ワインを造りたいなら、自らの畑に合うブドウ(たぶん、グルナッシュ・ブラン、マルサンヌ、ルーサンヌ、ブールブーラン、クレーレット、ミュスカ、カリニャン・ブランあたりのブレンドだと思うが)で造るほうが、他人のソーヴィニヨン・ブランで造るより、筋が通ると思う。
※ル・ディス・ド・ロス・ヴァスコス。生産量は一万ケース。味は超
カベルネ・ソーヴィニヨンはさすがの出来だ。3種類があり、ヴァラエタル、グラン・レゼルヴァ、そしてアイコンであるル・ディス(DBRのホームページではフランス語読みでル・ディスだが、ロス・ヴァスコスではレ・ディスと発音していた。どうすべきか)。基本的に同じような条件の一枚の畑でどうやって品質の差を作るのかと聞くと、「収量が違い、それぞれヘクタール当たり10から11トン、8トン、5トン」。他にも細かく見れば多種多彩な土壌があるので、上級キュヴェにはその中でよい区画を選んでいるようだし、樹齢も違う。ル・ディスの85%を占めるカベルネ・ソーヴィニヨンはロスチャイルドが購入する前から植えられていた自根の古木だが、安くなるほど若木が増える。2009年以降の植栽はすべて3309台木を使った接ぎ木のブドウになってしまった。
※栽培マネージャーの、ホセ・ルイ・オルティスさん。見てわかると
いまだに除草剤を使っているのは問題だろう。しかし彼らは着実な変化を望んでいるので、「除草剤の量は昔より減らしてきているし、2年後には廃止する予定」と、ワインメーカーのマキシミリアン・コレアさんは言う。チリの気候はオーガニックには最適なのだから、なぜそうしないのかと聞くと、「2010年から始めており、現在は100ヘクタールがオーガニック栽培(オルティスさんによれば80ヘクタール)。アメリカの輸入元がオーガニックワインを要望したのがきっかけ。残りのオーガニックのブドウはコノ・スルとエミリアーナに売る。自分たちで牛や羊を飼い、オリーヴを育てて、オーガニックとしてあるべき生態系を意識している」。なんと。DBRは輸入元がオーガニックにしてくれと言えばしてくれるようなフレキシブルでコンシューマー・オリエンテッドな会社なのか!ならば日本の輸入元もオーガニックのワインを要望して欲しい。さらにはDBRがコノ・スルとエミリアーナのブドウ供給者だったというのも驚きだ。なぜせっかくのオーガニックのブドウを自社ワインに使わないのかと思うが、供給可能量に販売量が追い付かないからだろうか。
※ロス・ヴァスコスの醸造所は、ラフィットの名から想像しがちなゴ
※4万リットル容量のステンレスタンクが250基並ぶ発酵室。
さて、ル・ディス。ロス・ヴァスコス創立10周年記念ワインだから、ル・ディス。96年を初ヴィンテージとして98年にリリースされた、彼らのアイコン・ワインだ。当時は印象に残らないワインだったが、今久しぶりに飲むと、フィネスやエレガンスという言葉を臆面なく使える、偉大なワインだと思う。栽培も向上したのだろうし、造りも改善されたのだろう。地球温暖化もこの限界的に涼しいテロワールにはプラスに働いているのか。ソーヴィニヨン・ブランのように遠い面影としてのラフィット性ではなく、さすがにカベルネ・ソーヴィニヨン主体のワイン(品種構成的には、メルロがカルメネールに、カベルネ・フランがシラーに代替されていると考えられる)だけあって、まさにラフィットの直系家族の味だ。極めて細かいが強く浸透してくるタンニン、くっきりとした緊張感のある酸、しっとりとした果実味、タイトなフォーカス、見事な垂直性、そしてグラファイト、ミント、赤系果実とカシスの香り。どうしてこんなワインが出来るのかと思うほどラフィット的で、既に十分に優れた品のよいワインであるグラン・レゼルヴァのあとに飲むと、両者のあいだには単に樹齢や収量には起因できない根本的な違いがあると言わざるを得ない。
※チーフ・ワインメーカーはチリ人のマルチェロ・ガイヤロ(写真)
自分が理解できる範囲の理由は、樽である。ル・ディスだけがラフィット製の新樽100%を使用する。ラフィット製の新樽を使えるのはラフィット系列ワイナリーならではの特権だ。逆に言うなら、ラフィットの個性にとってどれほどこのラフィット樽が重要なのかが分かる。
※泣く子も黙る、ラフィットの樽。この効果は絶大だ。
※取材が終わったらちょうど昼食の時間。醸造所から道を挟んだところ