コラム 2017.01.12

Chateau Rioublanc

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Bordeaux Rioja 105

※標高60メートルほどの小高い丘の上にある、シャトー・リオー・ブランの畑。
 右岸の中心都市リブルヌから北に15キロ、サン・シエル・ダブザック村にあるシャトー・リオーブランは、ベーシックなボルドー・アペラシオンを造る。オーナーのフィリップ・カレテロが言うに、「この地は気温が低く、雨も多く、土壌は10ネートルも堆積した粘土とシルトで冷たく、以前は完熟が難しく、白で知られる産地だった。近所とはいえ今年の7月にポムロールに行ったら暑くてブドウに渇水ストレスがあって驚いた」。だからこそ単なるボルドー・アペラシオンでしかない。
※オーナーのフィリップ・カレテロ。以前のオーナーは協同組合の会長だった人らしいが、彼から1963年にフィリップの両親が購入。2009年にオーガニックへの転換を始め、2012年にエコセールから認証を取得。
Bordeaux Rioja 106

 ところが「2000年頃から温暖化が進み、今ではカベルネ・ソーヴィニヨンでも熟すが暑すぎない、丁度よい気候の土地になった。畑にはコロンバールが植えられ、以前は酸が強くてどうしたものかと思っていたのに、今ではその酸がプラスになり、今になればコロンバールが植えてあってよかったと思うほどだ」。だから彼らのワインはアルコール感がなく、酸に伸びがあり、適度に引き締まって、古典的なプロポーションを備える。お買い得でおいしいオーガニックのボルドーワインを求めるなら、ここはお勧めだ。とりわけ辛口とモワルー(中甘口)の白とクレマンがいい。

 これには若干の注釈が必要だ。彼らは2009年にオーガニックを始め、2012年に認証を取得している。ところが2013年はカビ害によってブドウが全滅し、一本もワインを造ることができなかった。訪問時点での現行ヴィンテージは赤が2012年、他は2014年だった。このようなオーガニック初期においては2年の差は大きい。比較してしまうと、彼らの赤は多くのボルドーの赤と同じ類の濁り感と粗さと平坦さがほんのわずか感じられた。2014年ヴィンテージの赤は白と同じ品質レベルになると期待してよい。

 話をこれで終わりにしてもいいのだが、リオーブランについて考えるともろもろの周辺事項を考えざるを得ない。

 おいしいとは何か。もし「ボルドー」を格付けシャトー的な意味で捉えるなら、当然ながらその「おいしさ」とは一級シャトーが体現する価値である。おいしくないワインが上位では矛盾をきたす。一級、二級、三級からブルジョワ級に至る縦社会のワインを順に飲んでいけば、「ものすごくおいしい」から「そこそこおいしい」に至る「おいしさ」のヒエラルキーという概念が理解できる。個々のワインはその直線的ヒエラルキーから逸れることがあるにせよ、だ。

 ではこの品質ヒエラルキーの内部でのみボルドーは存在しているのだろうか。リオーブランはアペラシオンからすれば最下位である。だがこのワインはおいしくないのか。いや、我々がよく知る「ボルドー」とは違うだけだ。

 いったん「ボルドー」を忘れ、日常消費用のフランスの地ワインというカテゴリーの中にリオーブランを入れる。そうすればこの素直でフレンドリーで、クリーンで信頼できる、食卓にふさわしい飽きない味わいの魅力が見えてくる。これは、おいしいから、より土地の個性を引き出すから、そして地球のためにも人のためにもよいから、というシンプルかつ正当な理由のオーガニックワインだ。

 モジャモジャ長髪変人系「ビオワイン」でも、「ビオ」を目的として「ビオ」を訴求点とするワインでもない。この十数年のあいだにすっかり一般的となった「煽り」のワイン・マーケティングに相応しいおもしろおかしいストーリーもなければ、日本のビオ好きが偏愛するクセっぽさもない。
※両親が創業時にしつらえたコンクリートタンクは今も現役。熟成中の2015年の白は素晴らしい出来だった。
Bordeaux Rioja 109

 だから日本ではきっと売りにくいワインなのだろう。しかしこれが売りにくいのだとしたら、消費者が求めるものは安価で普通においしいオーガニックワインという実体ではなく、なんらかの記号だということになる。記号消費を否定はしないが、実体消費がなければすべては砂上の楼閣だ。ところが悲しいかな、健康だ安全だ地球環境だと誰もが口では言いながら、安価で普通においしいオーガニックの米も豆腐も肉も野菜も日本の普通のスーパーの棚にはない。つまりイメージの消費はしても、実体の消費はしていない。したくとも商品がないからできないというのも事実だが、これは鶏と卵だ。それが日本の現実である。生活必需品になりきれていないワインは、なおさら実体消費から遠い。

 譬えて言うなら、私は以下のどちらを欲しているのか。一部オーガニック食材を使用し流行りのスーパーフードを取り入れたお洒落な和洋折衷系創作料理なのか。それとも認証オーガニック食材のみで作られた普通の醤油ラーメンなのか。もちろん私は後者が欲しい。しかし日本に前者はあっても後者はない。だからリオーブランのようなワインが、オーガニックの意義を正当に考える以上は本来ならばメジャーでなければならないカテゴリーのワインが、マイナーになってしまう。

 彼らは普通の、良識ある生産者だ。話していても、普通においしいワインを日常の食卓に届けたいという意思を感じるのみで、ギラついた欲など感じない。「いくらオーガニックがよくても、大衆が買える値段でなければ意味がない」と考える。何度も繰り返すが、人口の1%の富裕層が月1回買うワインがオーガニックであることと、一般大衆が週1回買うワインがオーガニックであることと、健全で健康的な社会と地球環境にとってどちらがより多くの貢献をするか。

 だからリオーブランは安い。好ましい性質の赤白は5・5ユーロ、素晴らしい中甘口で6・5ユーロ、見事なスパークリングで7・5ユーロ。ボルドーは高いと言われるが、それはあの「ボルドー」であって、ボルドーという土地の味が好きなワインファンのための、他の産地と変わることない値段のワインは、こうやってきちんと存在しているのだ。この値段を実現するためには本質的ではないコストは削減している。赤は機械収穫だし、ワインはコンクリートタンクやステンレスタンクで熟成されて樽を使っていない。55ヘクタールという相当大きな規模も価格にはプラスだ。

 値段だけが魅力なのではない。最大の魅力は、味わいの素直さであり誠実さだ。それはつまるところ、生産者の精神のありよう、こころざしの形に由来する。いかに上質で、いかに評価が高かろうと、邪気邪念が忍び込んだ(それは生産段階においてだけではなく、いや生産段階以上に、それ以降の流通、小売、消費段階でも起こる)ワインは、心地よい日常消費のワインとしては不適格だ。我々は誰でもそれなりの感受性がありさえすれば、このことを直観的に分かる。記号消費に向く要素のないリオーブランは、邪気邪念による汚染の機会が少ない。その無色透明さが、我々の指先をボルドーの素肌へと触れさせる。「ボルドー」ではなくボルドーが好きならば、これほど重要な特性はない。
※シャトー・リオーブランのような普通の農家ワイナリーは、55ヘクタールと大規模であっても格付けシャトーのようなテイスティングルームなどあるはずもなく、試飲はオフィスで立ったまま。コピー機の上に瓶を置いていいのかどうかという話はさておき、ギミックや雰囲気で煙に巻かれて本当よりおいしく感じてしまうなどということはありえない。おいしいものはおいしい。
Bordeaux Rioja 110

  • このエントリーをはてなブックマークに追加