コラム 2017.01.07

Chateau Palmer

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※シャトー・パルメの建物のあちこちは独特の緑色で塗られている。昔は薄い青だったというが、2004年にトマ・デュルーが就任してからこの色になったらしい。広報資料にせよウェブサイトにせよ、シャトー・パルメの美意識の高さはシャトーのすべての要素に反映している。彼らから送られる新年のカードのかっこよさと言ったら!
 パルメは逸脱が生み出した奇跡である。それは他のマルゴー格付けワインの基本的味わいとは異なる、独自の世界を作り上げたワインである。

 私はパルメの神々しいまでの伝説が生まれた1961年と1966年ヴィンテージをギリギリ同時代的に覚えている。1970年代、それらのワインがまだ普通に売っていた時、そしてまだ少数の人だけがパルメに興味があった頃、当時の、つまり60年代から70年代末までのシャトー・マルゴーがどれだけ雑で、薄く、香りが濁っていたかを記憶している。それでも1級だから、そして高価で有名だから、よいワインというのはこういうものなのか、と不思議に思っていた。今のような情報は皆無だ。もちろんパーカー以前の話だ。そんな時にパルメを飲んだ人は皆、衝撃を受けたはずだ。ワインはこんなにもフルーティでまろやかで香り豊かで陶酔的・官能的になりうるものなのだ、と。私ももちろんそのひとりだった。今でもその味は鮮明に蘇る。

 今なら他の人が言っていることを聞いて、さも自分自身が経験したかのような錯覚をもつことができる。メディアとSNSの発展は、ワイン体験のヴァーチャル・リアリティ化を確実に進展させ、以前のように高い授業料を払ってひとり刻苦奮闘する必要はない。しかしそうやって自分のものとした論理と感覚は、ヴァーチャルではないリアリティである。それだけ深く心に刻まれる。だから伝説的時代のパルメの評価は、それを体験した人によって繰り返し語られ、強化されてきた。

 シャトー・マルゴーと同じ方向性の味ならば、格付けの上下は通常は残酷なまでに正しく、1級は1級、3級は3級であることを確認するだけだ。それは余韻の長さに着目すれば明確であり、パルメとて例外ではなく、78年以降、とりわけ83年以降のシャトー・マルゴーが別次元の境地に達したあと(偉大なる故ポール・ポンタリエ!)では伝説が色褪せたかも知れない。しかしパルメは違う方向性なのだ。カベルネ・ソーヴィニヨン主体の左岸ワインの中で、パルメはカベルネとメルロが同じ比重をもつ(作付面積比で47%づつ)例外だ。土壌はマルゴーらしい礫質。となると、メルロと礫質の組み合わせの味、つまりシュヴァル・ブラン、ラフルール、クリネ的な、直接的で快楽的な、密度感がありつつ分かりやすくフルーティな方向性の味に近づく。左岸の格付けシャトーでそれは、往年のピション・ラランドと並ぶ極めて貴重な存在だ。味わいの独自性とその現代的な魅力によってパルメは縦並びの厳格な身分制度から横に逸脱できた。それゆえ他に埋没することなく、ファンに支持され続けたのだ。

 伝統的な左岸のワインは、いわばイギリス的美意識のワインである。もともとイギリスだったボルドーは、フランスに復帰して以降もイギリスと密接な交易上の関係を保った。特に左岸はそうだ。今でもそうだ。イギリスとは味に関しては禁欲性を重視する国に見える。なぜイギリス料理をまずいと言うのか。それはイギリス料理が本当にまずいからではない。実際イギリスの素材は素晴らしく、そのシンプルな料理は素材を生かしたおいしいものである。イギリスでイギリス料理を食べれば誰でもそう思う。しかし彼らは「おいしいと言う」ことそれ自体を、現世的な快楽を料理に求めること自体を、そういう人生観、価値観を、あえて「まずい」と言うことで戒めてきたのだろう。それはプロテスタンティズムの表現とみなされるべきなのだ。

 そう考えると、なぜ左岸がカベルネ・ソーヴィニヨン主体なのかも分かる。この品種は裾を乱すことも胸をはだけることもなく、感情よりも理性に訴える味である。ネルソン提督はトラファルガーの戦いを始めるにあたって、「イギリスは各員がその義務を尽くすことを期待する」と言って兵士を鼓舞した。普通なら鼓舞するためにはもう少し感情的な高揚感に訴求するものだろう。東郷平八郎連合艦隊司令長官でさえ「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」だ。ネルソン提督は砲弾の飛び交う中を優雅に歩き、狙撃されて戦死するが、死の際の言葉も「神に感謝する。私は義務を果たした」だ。トラファルガー海戦の対ナポレオン戦全体の中での価値はそれほど大きくはないにもかかわらず、彼が例外的にセント・ポールに埋葬され、銅像となってトラファルガー広場に君臨するのは、彼が体現したイギリス的、理性的、抑制的、自己犠牲的な美意識・価値観が支持されてのことだろう。

 パルメは、イギリスの名前にもかかわらず、そういったイギリス性は少ない。私は20代半ばまではパルメのファンだった。当時「好きなボルドーは」と聞かれて「パルメの66年」と言っていたから、それを覚えている人もいるかも知れず、嘘はつけない。30代に近づくあたりからは違う。ストラクチャーが緩い、禁欲と統制の美学に欠けるがゆえにメドックのあるべき姿とはいえないと思うようになった。別においしくないわけではない。パルメはずっとパルメなのだが、こちらの評価基準が変わったのだ。
※発酵はステンレスタンクで行う。小さめのタンクで小区画ごとに仕込み、収穫翌年2月に行うブレンドのために最良の原料を作りあげる。
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 長らくそう思っていた。変化が感じられたのは2010年ヴィンテージだ。2009年のような、ふんわりフルーティで表層的に飲みやすいといった印象はなかった。内的構造の厳格さ、酸の佇まいの緊張感といった、自分にとってのボルドーらしさの重要な要素を、初めてパルメから意識することができた。
※テクニカル・ディレクターのトマ・デュルー。話してみると分かると思うが、頭の中が整理されて、話の内容がスカッとしている。さすがだ。
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 今回パルメを訪問して分かったのは、2010年に私が感じた変化は、このヴィンテージの空前絶後の低収量と果粒の小ささによるものだけではなく、2006年に除草剤使用をやめて土壌の状態がよくなってきたことの証であり、ビオディナミの成果でもある、ということだ。2008年、特別なチームを編成して1ヘクタールのみから始めたビオディナミの実験は、ほぼ毎年倍の面積で徐々に面積を拡大し、2013年で66%、2014年で100%に到達した。テクニカル・ディレクターのトマ・デュルーが言うには、「2010年には、ビオディナミはいけると従業員を説得するのは難しいことではなくなった。土地本来のバランスが再構築されてきた」。2013年も低収量のヴィンテージだったが、「2013年の出来のよさは、収量が低かったことより、ビオディナミによりブドウが病気に対してより耐性をもつようになったことが大きい」。またビオディナミにしたことで、「より精密な味になり、区画ごとのテロワールの個性をより表現するようになった。ワインが場所に近づくようになった」。

 彼はビオディナミの専門家ではない。2004年の就任時には「何もビオディナミについて知らなかった。しかし科学者として興味があり、マチュー・ブーシェの力を借りて実験することにした。実験を進めるうちにだんだんとよい感触をもつようになった。自分にとってビオディナミはシュタイナー哲学とは関係ない。それは、収量を増やすために肥料や殺虫剤を使用するような人工的と言っていいような近代農法とは異なるタイプの農法であり、自律的なエコシステムとして、有機体としての農場に立ち返る方法だ。次の世代に土地を伝えるための有効な方法でもある。私は科学者の視点で物を捉える。読み、理解し、実践する。理解できなければ実践しない。理解できなくとも結果が得られるなら実践する。例えばプレパラシオン501を散布した畝では、散布しない畝より、ブドウの樹はより垂直に伸びる。なぜかは分からない。しかしブドウの質はよくなるから散布する。ビオディナミか否かで科学的分析に差はない。ビオディナミのほうが酸が少し高いようだが有為の値ではない」。それでは科学的な分析はなんのためにするのか、と聞くと、「すべてが分析可能なわけではない」。
※2014年ヴィンテージから稼働している新しいセラーの入り口には、最近世界じゅうの高級ワイナリーで人気の光学式選果機械、イタリア、ヴェネトにあるProtec社のX-Triが鎮座していた。たぶん2千万円ぐらいするが、素晴らしい性能だと聞く。選果は二段階で、最初は手で、次にX-Triで行う。

 だから彼も科学的表現一本槍ではない。「ビオディナミか否かでは結晶化すると差が出る」。多くのビオディナミ生産者が優位性の証拠として見せる結晶の姿の美しさ。それがどこまで「科学的」に説明できるのか。そもそも結晶が品質の優位性にどう結びつくのか。美しさとは我々の感覚である。おいしいものはおいしく、美しいものは美しいのであって、科学的に説明できようができまいがその感覚に変わりはなく、説明できないからおいしいものは幻覚であって存在しないとは、私は考えない。妙に疑似科学的説明に走るより、「ビオディナミのワインのほうがおいしいからビオディナミ」という説明で十分に思える。そもそも嗜好品であるワインにとっては、結晶の形が目的ではなく、おいしさこそが究極的な品質であり、目的である。さらに議論していると、「ダメなワインはエネルギーが曲折していて、いいワインとはエネルギーがまっすぐだ」と言った。私も同感だし、同じように言う。しかし「エネルギー」とは何か。「曲折している」とは科学的にどういう意味か。もちろん彼は比喩的に表現しているのだ。それ以外に表現しようもない。それでも私が同感できる(たぶん多くの人が彼の意味を理解できるだろう)のは、我々は同じ人間として同じように感覚しているからだ。その感覚を表現するのは数式ではなく、文学的表現しかないのだと、科学的アプローチの権化たる彼がいみじくも言っているようなものだ。

 彼の言葉を借りるなら、「エネルギーが曲折している」というのは昔のパルメであり、「エネルギーがまっすぐ」とは今のパルメである。前者は濁り、フォーカスの甘さ、構造の緩さ、味の乱れ、余韻の不安定さ、不自然な凹凸感等々の、そして後者はすくっとした気品、清冽さ、純度感、整然とした構造等々の、今まで私が使ってきた言葉が意味するところと同じである。私は後者のようなワインを、少なくともメドックにおいては評価する。ビオディナミは、パルメのエネルギーの流れ、気のありようを整え、「まっすぐ」にした。だから今のパルメは、かつてのパルメの「逸脱」の魅力をそのままに、古典的最上質メドックのネルソン提督的美点を備えたワインなのである。
※シャトー・パルメは60から70%新樽で21か月熟成。セカンドワインのアルター・エゴは30から40%新樽で18か月熟成。
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