コラム 2015.11.15

座談会 ロゼっていったいなんなのか? vol.1

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ロゼ、ロゼ、ロゼ。これでもかとワイン界全体が連呼しつづけて何年になるか。一部では盛り上がっているのかも知れないが、実感がない。数字にもあまり出てこない。海外の生産地に行くとどこでも聞かれる、「こちらではここ何年かで大幅にロゼが伸びたが、日本でもそうですか?」。答えに窮する。

ロゼはまずいか?

まさか。ここ十年で私、田中克幸もずいぶんとロゼを飲む頻度が上がった。おいしいロゼはとてもとてもおいしい。白より赤よりロゼがおいしいと思った生産者も数知れず。ただし、ロゼ選びは難しい。外した時は大きく外すから怖くて買えない、と、周囲の声。もったいないことを・・・・。

ここでロゼについて考えるしかない。だからワイン・コミュニケイト座談会の第一回はロゼがテーマだ。

なぜ冬にロゼ?誰でもそう突っ込みたくなるだろう。しかし、お花見にロゼとか、南仏ヴァカンスのブイヤベーズにロゼとか、そういう固定観念がロゼにとって本当に積極的な意味があるのか。女子会にロゼとか言われた時には、男性としては「冗談じゃない」と思う。

そういう雰囲気ものとしてのロゼではなく、まともなワインとしてのロゼに向き合い、ワイン評論家田中克幸、ワインコミュニケイト宮地英典、そしてゲストとして迎えた論客篠原直樹の三人が思考を巡らせた。

 

なぜ日本でロゼが売れないのか??

田中 : なぜロゼが売れないのか、という問題意識を宮地さんが提示したことからこの企画が始まったわけで、まずは宮地さんに訊きたい。売れてないのですか?

 

宮地:いや、このお店(shibuya-bed)でのお客さまの反応はいい。勧めればおいしいと喜ばれる。ロゼワイン自体優れた作品が日本に入ってきていると思うが、そこに愛好家の目が向いていないのではないか?

 

田中:君が勧めれば飲む。ほうっておいてもオーダーはされない。飲めばおいしいと言われる。そこに問題の本質が要約されているではないか。つまり、ただ置いてあるだけではダメで、名前では買いにくいワインがロゼ。「白や赤はいろいろなアペラシオンや等級があって面倒くさいけれど、ロゼは単にロゼだから誰でも簡単に選べて気軽に買える。それが成功の秘密のひとつ」とプロヴァンス委員会の人が言っていたが、結局はそれが、飲んでみるまでは分からない、だから怖くて買えない、という結果になっているとも言えないか。

 僕はロゼワインというのは実は上級者向けだと思っている。このお店のお客は知識と経験が豊かなワインファンばかりだろう。そういう人たちだからおいしいと思えるのかも。だとすればロゼワインには、これまでに思われている初心者向けのアプローチと逆のことが必要になってくる。というか、今までのアプローチでよいのなら、これほどロゼの人気がないという事実は説明できない。

 

宮地:日本でのロゼワインシェアが1%以下? フランスの30%台とは単純に数字では比較できるものではないけれど、ワイン市場が成熟している国において、これだけロゼが飲まれていない日本だけが異常だと思う。

 

田中:何もフランスや諸外国で流行っているから日本で流行らなければいけないということはまったくない。そういう鹿鳴館的な発想は僕は嫌いだ。ところでこれまたプロヴァンス委員会の人が言っていたことだけど、「フランス等伝統的ワイン産出国ではワインは田舎のじいちゃんばあちゃんのつくるもので、かっこ悪いイメージ。だから若い人がワインを飲まない。しかしロゼはそれらとは違う、かっこいいイメージを作り出した。おしゃれなワインとしてロゼを位置づけたことが成長の理由」。

それは理解できるが、日本ではそもそもワインのイメージは良く、かっこ悪いとは思われていないよね? フランスと日本の数字を単純に比較しても背景が違う。

 

宮地:日本では体系の中でワインを消費してきた。すべてのワインをカテゴリー化し、分類し、その文脈の中でのみとらえる。例えば、レストランでは体系的ななかで秀逸とされる銘柄、低価格のバルでは一般の不特定の人に向けた低価格ワインとか。今こそ個別の具体的ワインそのものの魅力に立ち返り、既存の体系とは切り離して考えていくことが必要なのでは?

 

田中:ワインのシンボリズムを客観的に見ていくことは重要だ。ひとり当たり3リットル台前半という年間消費量からして、ワインは日本における基礎的な日常飲料とは言えない。

いかに価格が低くともワインはなんらかのシンボル性を纏う。それは知性かも知れないし、豊かさやかっこよさかも知れない。そのような意味で、ワインは自己と他者の差異を表示し、消費者自身の自己認識を生み出す。ロゼワインとて同じ。ではロゼを飲むことでいかなる自己が表示できるのか。その価値を明らかにしていくことが、ロゼ消費拡大の動因になっていくと思う。

 

篠原:白・ロゼ・赤の比率のような数字じたいは重要な問題ではない。ロゼワインを飲まないともったいない、という提案をしていきたい。日本人のロゼワイン観は狭い。ロゼワインの楽しみをたくさん発見し、それを知らせていくべきだ。ワイン初心者ほど実は頭でっかちだと思う。ワインに対する感性を持っているハイエンドの人たちへのアプローチがこれからは必要になってくる。漠然としていたものを形にして行く時が来た。

 

田中:ハイエンド=高額ではない。そこを勘違いされては困る。それは知性、感性の問題だ。それがない人、ないしそのことに対して意識的ではない人にはわからない価値をもつのがハイエンドだ。

 

宮地:しかし多くの人はロゼワインにネガティブな印象を持っている。

 

篠原:最初はロゼに対する先入観があるが、取っ掛かりがあれば先入観の呪縛から解放されると思う。その手助けをするのがプロの仕事だろう。

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ロゼを飲むシーンを考える

宮地: ロゼは地酒的なほんわかした味があるのがいいのではないか。

 

田中:言いたいことは分かるが、ロゼは本当に地酒なのかとあえて問いたい。プロヴァンスの例、そしてその成功の理由を考えても、むしろ多くのロゼワインは地酒ではなく、ある種の目的意識のもとに造られたテクノロジーの産物なのではないのか。世界じゅうでロゼが本来の伝統的なスタイルのワイン・地元消費のためのワインとして認識される産地のほうが少数ではないのか。しかし宮地さんの言わんとすることに寄り添うなら、確かにロゼは前のめりではなく、自己主張型ではなく、公的・外的な価値体系の中で飲まれるワインではない。ロゼはいわば服装コードがなく、ゆえにより日常的になりうる、だから他人のためのワインではなく、自分のため、また親しい人のためのワインとも言える。

 

宮地:たしかに、ロゼは大切な人と飲むのにいい。だからこそロゼはセンスが問われる。

 

田中:そう、ロゼはセンスの塊。

 

篠原:本当にそう。だけど、ロゼは飲むまで味が読めない。ロゼじゃなければダメな場合もあるだろうし、そこにロゼの有用性があるように思う。他のワインじゃ合わないよね、という料理にも、ロゼなら合わせられる場合がある。例えば、酸っぱい白ワインや渋い赤ワインはダメなものとか。酸っぱくもなく、渋くもない 中庸な味わいがロゼ。

 

田中:そこは日本の食卓におけるワインを考える場合に非常に重要なポイントだ。酸が強い料理、タンニンが要求される脂肪の多い料理は日本には少ない。だから酸とタンニンの多いワインはあまり要らない。だからロゼがいい、と。

 

篠原:ロゼワインには厳しい印象は弱いよね。

 

田中:とはいえロゼワインは軽やかなものも多い。アルコールを抑えて酸を保つため早く摘む傾向がある以上、必然的にそうなる。しかし日本の料理は実は味わいの重心の低いものが多い。多くの人が適当にロゼワインを買ってきて日本の料理に合わせても自然にマリアージュとはならずロゼを嫌いになるというシナリオは理解できる。ロゼが売れないのは日本の食卓に合わないワインのほうが多いからではないのか、とプロは問わねばならない。だから日本のためにはより赤ワイン的なロゼを意識して選ばないといけない。

座談会 ロゼっていったいなんなのか? vol.2はこちら

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